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クルアーンを読む (atプラス叢書13)

クルアーンを読む (atプラス叢書13)

クルアーン知らずしてイスラーム理解なし!

イスラームの側からものを見たら、世界はどうみえるのか。
日本人のクルアーンの読み方は本書ですべて更新される。

評価日付 : 2022年10月10日〜2022年11月09日
本の写真又はイラスト、購入リンクなど: クルアーンを読む (atプラス叢書13)
全体的な難易度(1易―5難):
単語の難易度(1易―5難):
初心者おすすめ度(1-5) :
表現の難易度(1易―5難) :
本の紹介文(どういう本か、何について話しているか等) : 「イスラームについての本が、書店にあふれている。  本書『クルアーンを読む』はそれらと、根本的に異なっている。  イスラームにコミットする、内在的視点から議論を組み立てているからだ。 対談者のひとりである中田考は、イスラームの研究者であり、ムスリムである。中田氏が本書のなかでものべているように、わが国のイスラーム専門家は、ムスリムでない人びとが大部分である。イスラームの信仰をもつ人びとがほとんどいない。このため、イスラーム世界に内在する議論ができにくくなっている。そこで、日本語で書かれたイスラームについての本を読めば読むほど、イスラーム世界についての偏った像を描いてしまう心配がある。もうひとりの対談者である私(橋爪大三郎)は、ムスリムではない。しかし社会学者として、宗教についての議論をするときは、その宗教に内在する視点を大事にするように心がけてきた。ある宗教を客観的にとらえるためにも、その宗教を内在的に理解することは、とても大事なのである。 イスラームに内在する視点は、イスラームに味方するという意味ではない。イスラームの側からものを見たら、世界はどうみえるか、十分に踏まえるという意味である。これはまともな議論の、出発点ではないだろうか。」(橋爪 大三郎「まえがき」より) 本書は全五章で構成されている。 第一章 クルアーンとは何か 第二章 書物としてのクルアーン 第三章 クルアーンでわかる世界史 第四章 イスラームの歴史・神・法 第五章 カリフ制 第一章では、イスラームについて考える上で比較という手段を用いることの意義を明確にし、マックス・ウェーバーのアプローチに基づいた比較対象の選定(「四大文明」)を行ったのち、それら文明の持つテキスト(聖典)の性質をクルアーンの特殊性を浮き彫りにする形で比較している。 第二章では、クルアーンの位置付けをイスラームに内在する論理で展開しつつ、イスラーム神学における諸議論や、シーア派(12イマーム派)の教義についても触れていく。翻訳されたものを「聖書」と呼ぶことのできるキリスト教とは異なり、クルアーンといえば預言者ムハンマドが神からの啓示を語り下ろしたその内容を指すという部分は、クルアーンを考える上で重要な点だろう。 第三章は、「似非信者」を軸に現代イスラーム国家の諸相が語られる。特筆すべきは、イスラームにおいて信仰と行為は異なるため、人間の行為によって必ず救いに繋がるというわけではないという点が強調されることだろう。 第四章では、クルアーンを内容で分類すると神・人間に対する命令や法・歴史という三つに分けられることに基づいて広範な問答が行われる。アッラーとは何であるのか、シャリーアとはどのような性質を持つのか、また法学の推論やその適用についてなど、信徒・非信徒共に気になる点を、古典的議論に拠って明らかにしていく。 第五章では、中田考の掲げる「カリフ制再興」について、その構想が語られる。カリフ制再興は決してユートピアではないという現実的な視点、またグローバリズムに対し文化的多元主義による共存のシステムを提示するという背景など、「カリフ制再興」という言葉から想像される大それたイメージとは少し離れた、リアリスティックな提言がなされている。
読者に向けたアドバイス(どういう読み方をすると良いか: クルアーンに限らず、イスラーム全般に渡る基本的な概念を、会話という流れの中でわかりやすく学ぶことのできる一冊だろう。橋爪の質問は、信者・非信者問わずに気になる点であり、痒いところに手が届くような思いがする。但し、イスラームに関する教科書レベルの基本的な知識や、キリスト教の基礎知識は持っておいた方が読みやすい。専門書を読む前の段階でこういった本を読んでおくと、それらの理解がより容易に深まるのではないだろうか。  橋爪の提示する比較対象や関連事項について疎い場合には、あまり気にせずに読み進めるといい。橋爪は中田から話を引き出すための補助線を引いていると考えるといいだろう。 また、実践面において基本的に中田はハンバル派(男性)のものについて言及しているため、宗派や男女の違いについては適宜確認が必要となる。
本で誤っていた所、評価者からの補足、注意点: 前述の「まえがき」の通り、この本はクリスチャンである橋爪大三郎とイスラーム教徒である中田考の対談を収録したものである。基本的には互いの発言に対しそれを深める、もしくは訂正する、または一旦留保した後に別の議題で扱うという形をとるため、一つの概念について文脈に沿って読み進めるにつれて、初めて正しい理解を得ることができると言える。そのため、文脈を無視し発言の一部を切り取ると誤った理解をしかねない部分があるので注意されたい。  例えば、p26「アラビア語を神の言葉として重視し、(クルアーンの)翻訳を許さなかった。」とあるが、この部分のみを切り取ると翻訳が一切禁じられているかのように聞こえる。よくある誤解ではあるが、タフスィール(注釈)の一種という形で古くから翻訳されている(但しそれは「クルアーン」では無い)。  また、おそらく筆者らが言及しきれなかっただろう点について、いくつか補足を加えたい。  P44「一日に五回、礼拝の時間が決まっています。」から始まる段落で、正午から日没にかけての二回では声に出して(クルアーンを)読まず、日没から真っ暗になるまでの間に一回、真っ暗になってから朝までの間に一回、夜明け前の一回ではクルアーンを声に出して読む、ということが書かれている。これについて新改宗者・初学者が注意すべきは、声に出すか否かという部分について、法学派や礼拝の人数(集団礼拝か個人での礼拝か)、男性・女性かによって異なるという点だ。特に女性については、美声がアウラであるという議論の関係上、他人に聞こえるほどの声量で礼拝してはならない場合が多い。詳細についてはモスクで配布されるパンフレット等で確認すること。    P100「ハディースというのは、ムハンマドが生きている時に、どう考え行動したかという証言の記録です。ムハンマドが死んだあとに何が起こったかということは、ハディースではありえない。」とある。確かに一般的にハディースといえば預言者ムハンマドの言行録を指すが、ハディース学の定義によると、教友や後続世代によるものもハディースに含まれている。例えば、小杉泰編訳『ムハンマドのことば ハディース』の「聖典クルアーンの結集」という章にて、預言者の死後、アブー・バクルとウマルが聖典を結集するに至った経緯が記録されている。そのため、「ムハンマドが死んだあとに何が起こったかということは、ハディースではありえない」ということはない。また、こうした教友によるハディース(ハディース・マウクーフ)も法学に大きく影響している。  P164「(そのまま天国に行った預言者とか偉い人たちと)何らかの形で人間とコミュニケーションできると信じる人びとが、スーフィーたちです。だから彼らはお墓参りに行って、『預言者様、どうか私のことを、神様によく言ってください』とか言う。」とあるが、現代では信仰者自身にスーフィーという自覚がなくとも聖者廟に参詣する文化が根付いているところも多い。 途中何度かシーア派やイラン・イスラーム革命への言及があるが、シーア派に内在する論理に興味のある方は嶋本隆光の著書を参照されたい。
本の中で評価者が読んでほしい!と感じた文: 「イスラームを学び始めた者は、キリスト教徒にとっての聖書にあたるものがムスリムにとってのクルアーンだ、と思うかもしれません。確かに、聖書もクルアーンも本である点では同じですので、そうした理解もあながち間違いとは言えません。しかしそうした表面的理解ではクルアーンの重要性を見誤ることになります。 というのは、イスラーム神学的には、クルアーンは神の本質と一体である属性の一つ、御言(カラーム)であり、キリスト教で言うと神の位格の一つであり神の御言(ロゴス)であるイエスに相当します。キリスト教においては、真の神の言葉とは、イエス自身であり、聖書ではないのです。 キリスト教において神はイエスであり、イスラームでは神は創造主アッラーのみであり、ムハンマドは神の使徒に過ぎません。つまり神学的にはムハンマドに対応するのは、イエスではなく、ペテロたち、神イエスの使徒たちになるのです。そして聖書は、神の言葉ではなく、神の使徒たちの原稿録であり、むしろイスラームでは、使徒ムハンマドの原稿録ハディース集に当たります。 キリスト教では使徒の後継者といえば、使徒の筆頭ペトロの後継者を名乗るローマ教皇であり、それはイスラームではアッラーの使徒ムハンマドの後継者、カリフになります。」(中田考 「あとがき」より)
Evaluation date: 10/10/2022 – 09/11/2022
Photographs or illustrations of the book, purchase links, etc : クルアーンを読む (atプラス叢書13)
Overall Difficulty (1 Easy – 5 Hard):
Word difficulty (1 easy – 5 hard):
Difficulty of expression (1 easy – 5 difficult):
Recommended for beginners (1not recommended-5very recommended):
Introduction of the book (what the book is about, etc.): “Books about Islam abound in bookstores.  This book, “Reading the Qur’an” is fundamentally different from them.  It is fundamentally different from those books because it is built from an intrinsic perspective that is committed to Islam. One of the interlocutors, Nakata Ko, is a Muslim and a scholar of Islam. As Nakata notes in this book, the majority of Islamic study professors in Japan are non-Muslims. There are almost no Islamic believers in Japan. This makes it difficult to discuss issues intrinsic to the Islamic world. Therefore, the more one reads books about Islam written in Japanese, the more one worries that they will paint a biased picture of the Islamic world. The other interlocutor, myself (Daisaburo Hashizume), is not a Muslim. However, as a sociologist, when discussing religion, I have always tried to value the perspectives inherent in that religion. It is very important to understand a religion from its intrinsic perspective in order to view it objectively. The intrinsic perspective to Islam does not mean taking sides with Islam. It means to take into full consideration how the world would look from the Islamic perspective. This is the starting point for a proper discussion.” (English translation from the books’ “Foreword” by Daisaburo Hashizume) This book consists of five chapters. Chapter 1: What is the Qur’an? Chapter 2: The Qur’an as a Book Chapter 3: World History as Understood by the Qur’an Chapter 4: History, God, and Law of Islam Chapter V. The Caliphate In Chapter 1, the author clarifies the significance of using the means of comparison in thinking about Islam, and after selecting the objects of comparison based on Max Weber’s approach (“the four great civilizations”), he compares the nature of the texts (scriptures) of these civilizations in a way that highlights the uniqueness of the Qur’an The second chapter develops the Qur’an’s position in terms of the logic inherent in Islam, while also discussing various debates in Islamic theology and the doctrines of the Shi’ah (12 Imams). Unlike Christianity, where a translated version can be called “the Bible,” the part where the Qur’an refers to its contents in which the Prophet Muhammad narrated down revelations from God is an important point to consider when considering the Qur’an. Chapter 3 discusses various aspects of the modern Islamic state with a focus on “pseudo-believers. It is noteworthy that the author emphasizes that faith and action are different in Islam, and therefore, human actions do not always lead to salvation. In Chapter 4, extensive questions and answers are given based on the fact that the Qur’an can be divided into three categories by content: God, commands and laws for mankind, and history. The classical arguments will be used to clarify points of concern to believers and non-believers alike, such as what Allah is, what is the nature of shari’ah, and the reasoning of jurisprudence and its application. Chapter 5 discusses Nakata Ko’s vision for the “revival of the caliphate. The author’s realistic viewpoint that the revival of the caliphate is not a utopia, and the background of presenting a system of coexistence based on cultural pluralism as opposed to globalism, provide a realistic proposal that is slightly different from the exaggerated image one might imagine from the phrase “revival of the caliphate.
Advice for readers (how to read the book, things to keep in mind when reeding the book): This book would be an easy-to-understand way to learn basic concepts not only about the Qur’an, but also about Islam in general, in the flow of conversation. Hashizume’s questions are of concern to believers and non-believers alike, and I feel as if he has an itch to scratch. However, it is easier to read the book if you have a basic textbook-level knowledge of Islam and a basic knowledge of Christianity. It would be easier to deepen your understanding if you read this kind of book before reading specialized books.  If you are unfamiliar with the comparative and related issues presented by Hashizume, you should read on without much concern. You can think of Hashizume as drawing an auxiliary line to draw out the story from Nakata.
Mistakes in the book from Islamic view, supplements from the evaluator, notes: As mentioned in the foreword, this book is a dialogue between Daizaburo Hashizume, a Christian, and Nakata Ko, a Muslim. The book takes the form of deepening or correcting each other’s statements, or reserving them and then dealing with them on a different topic, so that a correct understanding of a concept can only be gained by reading it in context. Therefore, please note that there are parts of the statement that may be understood incorrectly if the context is ignored and parts of the statement are cut out.  For example, p. 26, “He valued Arabic as the language of God and did not permit the translation (of the Qur’an).” If this part is taken alone, it sounds as if translation is forbidden at all. It is a common misunderstanding, but it has long been translated in the form of a type of tafsir (commentary) (but it is not the “Qur’an”).  I would also like to add some additional information the auther did not append.  P44 “Five times a day, there are fixed times for prayer.” The paragraph beginning with “Five times a day are fixed for prayer,” states that the Qur’an is not read aloud twice a day from noon to sunset, once between sunset and darkness, once between darkness and morning, and once before dawn. What new converts and first-time scholars should note is that whether or not to read aloud depends on the jurisprudence, the number of people worshiping (group or individual), and whether they are men or women. For women in particular, due to the argument that the beautified voice is an aura, it is often prohibited to worship loudly enough to be heard by others. For more details, please refer to the pamphlets distributed at mosques.    P100 “A hadith is a record of testimonies of how Muhammad thought and acted when he was alive. A hadith cannot be about what happened after Muhammad died.” It is said. It is true that the word “hadith” generally refers to the sayings and deeds of the Prophet Muhammad, but according to the definition of hadith scholarship, hadith also include those by the companions and subsequent generations. For example, in the chapter “Rallying the Holy Qur’an” in Yasushi Kosugi’s translation of “Hadiths: Sayings of Muhammad,” it is recorded how Abu Bakr and Umar came to rally the Holy Book after the death of the Prophet. Therefore, there is no such thing as “what happened after Muhammad’s death cannot be a hadith. Also, these hadiths by the companions (hadith mawqoof) have a great influence on jurisprudence.  P164 “The people who believe that they can communicate with humans in some way (with the prophets and great people who went to heaven as they were) are the Sufis. So they go to the graves and say things like, ‘O Prophet, please speak well of me to God.'” In many places today, the culture of paying homage to the mausoleum of the saint has taken root even if the believers themselves are not aware that they are Sufis. There are several references to Shiism and the Iranian Islamic Revolution in the book, and those interested in the logic inherent in Shiism are referred to Takamitsu Shimamoto’s book.

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