イスラーム教徒は年長者をどのように敬うか
イスラーム教では、人間の一生の全ての段階を尊重し、敬います。高齢者は特にその対象です。イスラームという宗教は、その純粋さと慈悲深さによって、あらゆる人生のステージに価値を見出しているのです。至高の存在であるアッラーは、次のように述べています。「私は、あなた方を粘土から創造され、次に精液の滴から創造され、また次に血の凝塊(胚)から創造され、次に赤ん坊として生まれるよう定め、次に成人とさせ、次に年老いさせるのである」[クルアーン, 第40章ガーフィル:67]。つまり、当然のことながら、人間は幼少期、青年期、そして老年期と進んでいくものなのです。
イスラームにおける高貴な美徳の一つは、年配者に対する配慮です。その中でも特に、彼らを扶養し、権利を保護すること、彼らの役割を守ること、敬意を示すことを重視しています。これらにより、アッラーは喜ばれ、その慈悲が降り注ぎます。我々のもとに善、祝福、勝利が訪れるのです。預言者ムハンマド(pbuh : Peace Be Upon Him / 彼に平安のあらんことを)もこのことを強調し、「弱い者を求めよ、なぜなら彼らを通じて備えと勝利が与えられるからだ」と述べています[サヒーフ・アル=ブハーリー, 2896]。また、イブン・アッバースは預言者(pbuh)が「祝福は年老いた人々と共にある」と述べられたと報告しています[イブン・ヒッバーンにより編纂されたハディース]。
イスラーム教においては、年配者に敬意を払うことは、アッラーを讃えることと同じくらいの美徳であると考えられています。預言者(pbuh)は、「確かに、アッラーに敬意を示すことの一つは、歳をとったムスリムに敬意を示すことである」と述べています[スナン・アビー・ダーウード]。
預言者(pbuh)は人々の集まりにおいて、年長の人から順番に声をかけていました。彼は「年長者から始めなさい」と言っています[サヒーフ・アル=ブハーリー]。これは、年配者に敬意をしめすイスラーム教の教義を表す行為です。
イスラーム教は、年配者に対する親切や善行、彼らと交流すること、彼らの幸福を確保することを奨励しています。マーリク・ブン・アナス(アッラーが彼に喜びをもたらされますように)は、老人が預言者(pbuh)のもとを訪ねたとき、そこにいた人々が老人のために席を空けなかったときのことを記録しています。その際、預言者(pbuh)は「我々の若者たちに慈悲を示さず、我々の年老いた人々に敬意を示さない者は、我々の一員ではない」と言いました[ムスナッド・アフマド, 11/529]。
このような行為は、イスラーム教徒の年配者だけでなく、非ムスリムの年配者に対しても奨励されます。
私たちの預言者ムハンマド(pbuh)は老齢者への接し方の模範となる存在です。預言者ムハンマド(pbuh)は年配者に特別な愛情をもって接し、最大限の尊敬をはらい、気配りを行いました。彼の善い行いはどのような人に対してでももたらされましたが、その配慮と愛情は、子供や女性、年配者など、弱者にはより大きいものでありました。その中でも特に、年配者は最大の尊敬を受けました。アブー・フライラは「アッラーの使徒(pbuh)曰く、最も優れた者とは年長者であり、最も優れた行為をする者たちです」と報告しています[ムスナッド・アフマド, 7212]。
預言者ムハンマド(pbuh)はまた、老齢者が必要とすること、そして彼らにとっての弱点を考慮することによって、敬意を行為として表しました。例えば、アブー・バクルは高齢の父を預言者(pbuh)のもとに連れてゆき、祈り、導いてもらおうとしました。すると預言者(pbuh)は、「なぜ老人を家で待たせてやらなかったのか、私が彼のもとに行ってあげられたのに」と質問されたのです。アブー・バクルは「アッラーの使徒よ、わが父は、自ずからあなたのもとへと向かいたがったのです」と答えました。すると預言者(pbuh)はアブー・バクルの父を目の前に座らせ、「イスラームに入りなさい」と胸を撫でて言いました。それによって、アブー・バクルの父はイスラームを受け入れました[ムスナッド・アフマド, 26956]。
さらに、預言者(pbuh)は、両親の物質的・精神的などちらの需要も満たすことの重要性を強調されました。アブドゥッラー・イブン・マスードによれば、ある男が預言者(pbuh)に、「アッラーに最も愛される行いは何か?」と尋ねたときに、預言者は、「時間通りに礼拝すること、両親に親切にすること、アッラーの道に沿った努力すること」[サヒーフ・アル=ブハーリー, 7534]と答えたといいます。両親を敬うことは、礼拝のすぐ後に述べられています。両親を敬うことのイスラームにおける重要性は、それほどのものなのです。
そして、預言者(pbuh)は高齢者にとっての戒律の負担を考慮され、イスラーム教の慈悲深さを体現されました。クルアーンは、「アッラーはあなた方に負担を課さず、むしろ楽にさせることを望んでおられる」 [クルアーン, 第2章雌牛, 2:185]と述べています。宗教上の義務においてでさえも、高齢者は断食が困難な場合にはしなくてもよいとされており、立つことが困難な場合には座って祈りを捧げることができ、それもできない場合には、寝た状態のまま祈ることができます。イスラームという教えは、慈悲に基づいており、その実践もあらゆる人々があらゆる場合に容易に行えるように考慮されています。
預言者(pbuh)はまた、年配の人々も参加している礼拝を長引かせ、彼らを疲弊させていたムアーズ・イブン・ジャバルを叱責しました。預言者は「年配者も弱者です。あなたが礼拝を率いる時は、それを短くしなさい」と言い、彼に年配者慮るように助言したのです。[サヒーフ・アル=ブハーリー, 705]。
イスラーム教では、年配者の地位を保護し、尊厳ある生活を保証するために、いくつかの権利を定めています。
そのうちのさらに一部をご紹介しましょう。
1. 事柄における優先順位:年配者はさまざまな人生の側面で優先的な順位を与えられるべきです。預言者(pbuh)は年長者との交流し、彼らに敬意を払うことでこれを実践しました。
2. 挨拶の実践:年配者に対して自発的に挨拶することが奨励されています。預言者(pbuh)は年少者が年長者に挨拶するべきだと教えました。
3. 考慮と配慮:年配者の身体的および精神的な要望を考慮することが重要です。イスラームは、特に年配者に対して親切で思いやりのある態度を持つ義務を強調しています。
4. 祈り:イスラーム教徒は、両親をはじめとしたあらゆる年長者の幸せと祝福のために祈ることが奨励されています。
イスラーム教では、両親や年配者への親切さや配慮は報われ、自分自身の老齢期にも返ってくるとされています。すなわち「蒔く者は刈り取る」ということです。預言者(pbuh)は「年配者に親切にせず、若者に慈悲を示さない者は、私たちの一員ではない」と述べました[スナン・アビー・ダーウード]。